日本人のしつけは衰退?

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「「教育する家族」のゆくえ 日本人のしつけは衰退したか」(広田照幸著)を読んだ。
この本を読むことによって開けた視野がある。歴史を丹念に実証しつつ論じるものには、人を惹きつける力がある。この本からはそう言うことを感じた。
ぼくは、「地域の教育力は衰退している。家庭の教育力も衰退している」と思ってきた。しかし、戦前・戦後の一般庶民の生きてきた軌跡をたどっていくと、一般庶民に受け継がれてきた確固とした「しつけ」などはほとんどなかったことが鮮明になっていく。
ぼくは1960年生まれ。高度経済成長のまさにスタートラインの時に生まれた世代だ。ぼくたちよりも15歳若い世代は、戦争が終わった年に生まれた世代ということになる。ぼくたちが生まれる15年前といえば、冷蔵庫も洗濯機も電子レンジもガスもなく、掃除機もなかった時代。お風呂はまきで焚かれていた。もちろんテレビもなかった。
家庭生活は、すべて人力でおこなわれており、農家の家事労働の負担は、ものすごく大きなものだった。
戦後、復興とともに急激に庶民の生活も変化していく。
ぼくの家庭も、ガスになり、ご飯をパロマのガス炊飯器で炊くようになり、洗濯機が家に来て、冷蔵庫が家に来た。そのあと実現したのは、五右衛門風呂に取って代わったガス風呂だった。お水をはってガス風呂にスイッチを入れると、30分もすればお風呂に入れるというのは画期的だった。
その頃になると家事労働がずいぶん軽減されるようになった。
家事労働が、人力でまかなわれていたとき、子どもたちは小さい頃は邪魔者で、大きくなると重要な労働力となった。母親も父親も経済的に家庭を担うのに忙しく、子どものしつけに十分な時間をかけることなどできなかった。このような状況が大きく変化したのは、1960年から70年代の初めにかけてだったのではないだろうか。
家庭における教育、家庭におけるしつけは、この高度経済成長と歩調を合わせるかのように、次第に庶民の中に広がったのだ。
そう言う事実を踏まえると、国民レベルでしつけがおこなわれるようになったのは、たかだか40年程度しかない。日本人は、しつけといっても、家庭の中にはそんなに長い歴史がある訳ではない。今はしつけや教育を体験してきた第3世代に入りつつあるということではないだろうか。
子育てについての悩みが深い理由の一つは、しつけや教育の歴史的な蓄積が浅く、まだ熟成していないということではないだろうか。
そういう歴史的な浅さの上に、厳格主義的なしつけ、児童中心的なしつけ、学歴至上主義的なしつけという3つの傾向が入り交じって存在している(この3つの傾向は、広田照幸さんの分析による)。
「うちの子には掃除をさせないで下さい」
「ゆうことを聞かない場合は、たたいてくださって結構です」
「もっと、子どもの自主性を尊重して自由を体験させて下さい」
一つの事象に対して、親の言い分がものすごく食い違う背景には、この3つの子育て論の対立と矛盾があるという広田さんの分析は、非常におもしろいし、核心を突いているように思う。
この本は、新書版だが貴重な分析をおこなっている。まじめに家庭教育としつけで悩んでいる人々に、多くの示唆を与えてくれる本。一読あれ。
日本人のしつけは衰退したか―「教育する家族」のゆくえ (講談社現代新書 (1448))/広田 照幸

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Posted by 東芝 弘明