第15回手づくり紙芝居コンクール

未分類

朝、8時25分、家族3人で和歌山市に向けて出発した。
「第15回手づくり紙芝居コンクール」の最終選考に娘が残ったので、紙芝居の演技をおこない審査を受けるコンクールが待っている。会場は、元和歌山大学経済学部のキャンパスにある和歌山県立図書館だった。
駐車場に着いたのは9時30分。駐車場の向かいには、松下会館が学生時代の面影のまま建っている。当時の大学を思い出させてくれるただ一つの建物だ。
懐かしいので少しだけあたりを歩いてみた。
9時45分、図書館が開き、出演者と家族、関係者は2階の研修室に登って行った。研修室が控えの部屋に使われており、隣のホールがコンクールの会場だった。
最終選考に残ったのは、ジュニアの部(小中学生)の7人、一般の部(高校生以上)の8人の計15人だった。
午前中、紙芝居のリハーサルが行われ、娘は生まれて初めて紙芝居用の額縁のようになっている木箱の中に作品を入れ、木箱の面についている3面の扉を開けて紙芝居の演技を行った。
服にはピンマイクが付けられた。ぼくなどは、いまだかつてピンマイクを付けたことがない。
ピンマイクを付けるというのは、テレビに出る人のようだった。
少し緊張しているのか、演技が硬い。無理もない、なにせ人前で紙芝居を披露するのはこれで2回目なのだから。
「どんぐりぼうやころりんのぼうけん」
これが娘の作品名だった。夏休みの宿題として紙芝居を書き、クレヨンで色を塗って仕上げたものだ。
ぼくが一番気に入っている絵は、次の絵だった。ころりんが大きな鯨の口の中に入ってしまうシーンだ。

娘の作品は、紙芝居がどのようなものか、ほとんど知らないままに作ったものだった。しかし、最終選考に残ったことによって、親子3人は、はじめて紙芝居を作るとはどういうことなのかを考えさせてもらえることになった。まさにこれは、新しい世界との出会いだった。
11時過ぎにリハーサルが終わったので、少し早い昼食を取り、12時20分からコンクールが始まった。
ジュニアの部の2番目に娘は演技を行った。
紙芝居の箱の少し横に立って、落ち着いてゆっくり言葉を話している。
なかなか落ち着いた演技だった。
妻は、自分のことのように緊張して、固唾をのんで娘の演技を見ていたようだ。
最優秀賞が1人、特別奨励賞が1人、それ以外の人は奨励賞となる。
娘は、奨励賞になった。
よくがんばったと思う。
「また来年も紙芝居を作るんか?」
帰りの車の中で後部座席の娘に話しかけた。
「うん」
今日1日は、親ばかぶりを存分に発揮して、なかなか楽しい1日となった。
紙芝居。絵と文章とそれを演じる人。これを時には1人、時には複数で行う。何だか夢が広がる面白い世界だった。
一般の部の最優秀賞は、キツネのコンタとタヌキのポンタが月見の晩におばあさんの家にお団子を作りに行くと、おばあさんが転んだことが原因で腰痛になって寝ており、助けなくっちゃと思ったコンタとポンタは、薬草や食べ物を取りに行って…というお話だった。
和紙で書いた紙芝居の絵の上手なこと、小太鼓をたたきながら演技をして会場を惹きつけるというものだった。
演じたのは、細身の女の人。
15人の作品は、おもしろく、たのしく、やさしいものだった。
なんだか、紙芝居の世界が自分の身近に歩み寄ってきた感じになった。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

未分類

Posted by 東芝 弘明