植物誌
18のときにイルカさんのアルバムを買ったことがある。
「ちいさな空」というアルバムだったような気がする。
後にも先にも、ぼくが買ったアルバムはこの1枚だけ(これは記憶間違いだった。買ったのは『夢の人』『植物誌』『ちいさな空』の3枚)。でもこのレコードは、何度か引っ越しをする中で処分してしまった。惜しいことをしてしまった。
わが家には、ステレオがありたくさんのレコードがあった。しかし、いつしかプレーヤーが壊れ、スピーカーもなくなって、手元に残ったのは、大型のカセットデッキだけになった。
80年代に入って、レコードは次第に少なくなって、CDの時代へと移っていった。
書いていると買ったときの気持ちが蘇ってきた。
あわてて2階への階段を上がり、ステレオのスイッチを入れる。
LPのジャケットの中から黒いレコードを出して、傷を付けないようにゆっくりテーブルの上に置いて、針がゆっくり盤の端に降りていくのを見届ける。
レコードについてきた付録を見て、音楽に合わせて歌詞カードを眺める。
イルカさんは、ぼくにとって青春の心にしみる思い出だった。
2時を過ぎてからかつらぎ町主催の「人権フェスティバル」の会場に行った。雨は上がっていた。曇り空、肌寒い感じ。こういう季節が始まった。
到着が遅れたので、友人の息子の作文の朗読を聞くことができなかった。最優秀賞だったので、聞き逃したのは残念だった。
文章を書いて、評価を受け、他の人に聞いてもらえるというのは、幸せなことだと思う。
小説であればなおいいが、作文がみんなの前で披露されて、聞く人が心を動かすというのは、いい光景だと思う。
文化会館の大ホールでは、「合唱組曲 とべないホタル」が上演されていた。「豊川親子合唱団 たけのこ」と「愛知子どもの幸せと平和を願う合唱団」、「かつらぎ合唱団」の3つの団体が舞台で、歌劇を上演するというものだった。
3つの団体が力をあわせて、この合唱組曲を作り上げた努力に拍手を送りたい。かつらぎの方々の中には、僕の娘の同級生も何人か入っており、大人の中には、役場の職員も数多く参加していた。
ホタルのように
人権は
生活の中で歌われている。
しかし。
その歌は、何だか苦しくて悲しい。
「医療費が払えない」
と苦しんでいる人がいる。
「生活保護」
で苦しんでいる人がいる。
「住宅の廃止」
に直面して苦しめられている人がいる。
貧困としかいいようのない保育現場。
わずか1日6200円の日給だけで
小さい子どもの命を
支えている保育士がいる。
産休の規定を1か月伸ばし
保育の現場を支え
雇い止めになった人がいる。
退職金はありません
あったのは。
惜しみない感謝の言葉。
人権はどこに行ったのだろう
現実の惨状の前で
人権は縮こまって
耳をふさいでいるのだろうか。
でも。
憲法は痛めつけられながらも
人権を宣言して
私たちに希望の光を与えてくれている。
今はまだ。
現実の矛盾を改める力をもった憲法がある。
憲法の光は
ホタルのように明滅して
私たちに危険を知らせてくれている。
日本の憲法は
300万人の日本人と
1200万人のアジア諸国民の命を代償にして
原爆のがれきの中から
空襲の惨劇の中から
私たちの希望の道しるべとして生まれてきた。
平和を願った人々
主権を恋人のように求めた人々
この2つが重なり合って
日本国憲法は生まれた。
人権と平和は、両手を重ね合わせた祈りの中で
一つになって育ってきた。
日本国憲法に守られてきた
数多くの命がある
だから、今度は
この憲法を命がけで守ろう
ぼくたちの子どもたちの
未来を守るために
働き始めた
若い人々のために
子どもを産み
育てようとしている人々のために
年金で
生きている人々のために
戦場にかり出されつつある
自衛隊員のために
自衛隊員をもつ家族と親のために
この憲法を守ろう。
そして。
合唱組曲に込めた願いと希望を現実の中に貫く努力をしよう
その努力の先に。
この合唱組曲が語ってくれた希望がある。
3時からウインズのコンサートが行われた。平阪さんと亀岡さんは、学年でいれば一級上の人で、亀岡さんは、ぼくの高校の1年先輩にあたる。
ウインズを結成して22年がたつという。
平阪さんは、こんなことを語った。
「和歌山で歌い続けていきたかった。大阪や東京に出ずに和歌山にスタジオを作った。父親は、僕の音楽活動には、反対した。しかし、スタジオを作ると言ったときに父親は、3分の2お金を出してくれた。しかし、スタジオのできる1か月前父親は亡くなった。『俺の歌を聞いてくれ』と言ってもなかなか天国には届けへん。でも、人間一人一人、なんか取り柄がある。一生懸命がんばってたらいいことも起こる。和歌山で歌い続けるということを22年間続けてきたことが、オリジナリティーになっていると思う。だから和歌山県から奨励賞もいただいた。和歌山の『か』は『歌』って書きますやんか。これからも、この和歌山で歌っていきたい」
熱いものが伝わってくる話だった。
平阪さんの「道」という歌と亀岡さんの「わがふるさと」(?──間違っているかも)にジンときてしまった。
役場の課長が、亀岡さんの先輩で10年前に総合文化会館でコンサートを開いたことがあるとも言っていた。
「CD買うて帰ってよ」
ホールにやってきたとき、ぼくを発見した課長はそう言った。
「‥‥」
返事ができなかった。
財布の中には、1000円札が1枚しか入っていない(ぼくの財布の中は時々こうなる)。
「今日は買えない」
頭の中にどうしようという言葉が浮かんできた。
コンサートが終わって、一番心を砕いたのは、課長と顔を合わせないようにすることだった。
ぼくの前をある議員が歩いていた。声をかける余裕がない。横を見ると県会議員の人もまわりにあいさつしながら歩いていた。ぼくは簡単なあいさつをおこなった。
コンサートを聴いて心底買いたくなったCDだった。
CD売り場を横目で見ながら、会場の正面玄関を一目散にめざし、玄関に出ると駐車場に向かった。足は自然と速くなった。
後ろ髪が引かれるというのは、こういうことだろう。