国民の幸福の条件を整える

雑感,かつらぎ町議会

9月議会が終了した。最後は一般会計補正予算の質疑だった。朝9時からほぼ3時間の質疑となった。かつらぎ町はコロナ対策の補正予算を組んでいたが、組まれた予算の執行過程で予算が余ってきたので、さらに予算を組み替えて、少しでも住民の生活支援に役立つような予算編成を行った。この姿勢は積極的なものだと思う。心の優しさを感じることのできる補正予算だった。
今回は全員一致で補正予算が可決された。今回は住民1人1万円のクーポン券を配布することも盛り込まれた。このクーポン券は、インフルエンザのワクチン接種の自己負担にも使えるようになりそうだ。これを実施するための事務作業はまだ残っているが、かつらぎ町は、これを実現するために動き始めている。
住民の方々に自治体の施策がどういう形で届くのか。これはなかなか難しい。十分なことはなかなかできない。今の政治の中で、国の政治の歪みが国民を苦しめ続けている。この打撃が大きい中で、それでも自治体は懸命に仕事をしている側面がある。国民を苦しめるのも政治なら、国民を助けるのも政治。

日本国が、日本国憲法に基づいて国民のくらしを向上させるために、「国民の幸福の条件を整える」(姜尚中さんの言葉)ことを自覚して行われていたら、もっと国民の幸福度は上がるだろう。世界の経済大国第3位なのに、日本の社会保障の貧困、教育の貧困、保育の貧困にはひどいものがある。
日本の国だけ見ていたら当たり前のことが、先進国の非常識になっていることは多い。大学の授業料は無料、保育所は家庭環境と同じ。現実にこういう国がある。普通の家で少人数の子どもを5人ぐらいのスタッフが預かるという国では、250人もの子どもを過密な場所で預かるようなこども園は想像できない。医療費の負担が極端に少ない国もある。
フランスに住んでいるアメリカ人の女性が、フランスに対して「こんないい国はない」と語っていることをドキュメント映画で見たことがある。アメリカはかなり住みにくい。アメリカをモデルにして括弧付きの「改革」を行っている日本は、次第にアメリカ化している。日本の巨大企業の幸せは、日本国民への苦しみのしわ寄せで成り立っている。一方の極への富の蓄積が一方の極への貧困の蓄積を組織している。

日本の政治は、巨大な企業に優しく、アメリカの理不尽な要求にも優しい。この優しさを日本国民の方に向けたら、国民のくらしに直接接している地方自治体はもっと仕事がしやすくなる。自治体の仕事は、住民の福祉の向上にある。この仕事がもっと豊かに展開されるようになれば、国民生活の中に織り込まれ、人生に深い傷を差し込んでくる日本の状況は大きく変わるだろう。

日本共産党が目指しているのは、日本国憲法の完全実施とルールある経済社会を確立するところにある。この先に労働時間を短縮した自由で民主的な未来社会、社会主義がある。労働時間の短縮による自由な時間の拡大は、人間の個性を生かした発展の条件になる。豊かな人生と豊かな地域。人々の交流は、経済的な土台のもとで豊かに再生される。それは地域生活の復権になる。家族の幸福の条件も豊かに保障される。
資本主義=民主主義ではない。資本主義はファシズムとも手を結ぶ。安倍さんたちが目指していた美しい国は、戦前の日本をイメージしていた。国民主権と基本的人権、恒久平和は日本の歴史と伝統にあわない、この原則を変えないと美しい日本はできないという認識だ。自民党は、これをテーマにした集会まで開いている。ファシズム賛美のような集会だった。こういう土台があるから麻生さん曰く、「ヒットラーに学んだらいい」という発言などが出てくるし、片山さつきさん曰く「自民党の憲法改正草案は、天賦人権説をやめました」ということになる。
北朝鮮を批判しながら北朝鮮のような国をめざす。ブラックジョークでないところが恐ろしい。

元文部科学省の事務次官だった前川喜平さんは、日本国憲法を尺度にものを考えている人だ。この人の発言にはいつも注目している。発言はぶれない。日本国憲法を尺度にしたら前川さんのような官僚になれる。これは新しくて新鮮な発見だった。地方自治体の職員も日本国憲法の精神を仕事の基礎に据えてほしい。前川さんを見ているとそう強く思う。

日本国憲法は、国民の運動やたたかいを励ましてきた。しかし、この憲法を変える勢力が国会で政権を担ってきたので、日本国憲法は国の最高法規なのにないがしろにされてきた。憲法は古いという意見は、憲法を変えたい人々から出てきた。本当は古くない。政権党によってビニール袋に入れられたまま使われなかったことも多いので、まっさらな部分も多い。
「憲法は未完の大器」だといった憲法学者の人もいた。21世紀の今の時代に憲法をビニール袋から出して、これにづいて政治を実行したら、見ちがえるほど新しい豊かな日本への道が始まる。21世紀にこそ日本国憲法が輝く日本をつくろう。

報道の自由が下がってきている問題と国民の生活が苦しくなっている問題はつながっている。深く暗く。光が当たらない部分が拡大していることと、のり弁と呼ばれる情報非公開文書は密接にリンクしている。
中曽根内閣時代に始まった新自由主義的な改革によって、政治の世界や行政の世界には、規制緩和とともに自己責任論が広がってきたし、国民に負担を押しつけることが延々と積み重なってきた。
コロナ対策が、感染症の第2類に位置づいて、PCR検査と治療が公費負担によって担われたので本当によかった。こういう判断が出てこなかったら、新型コロナ感染の死者はもっと増えていただろうし、感染はもっと広がっていたと思われる。

ケアの充実した日本への転換は、コロナ対策としても重要な柱になる。教育や医療、介護が大切にされ、そこで働く人々の労働が尊重されていけば、それは田舎の再生にも大きな力になる。高齢化が進めば介護職や医療職が重要になり、そのことを通じて地域に大きな経済循環が生まれる。そういう方向に変化すれば、衰退しつつある地方の第3次産業ももう一度力を取り戻すだろう。
日本を豊かにする道は、新自由主義からの転換にある。この転換と日本国憲法を生かすことは深くつながっている。時代の転換点で地方自治体は、新自由主義からの転換を意識して、いかにして憲法をくらしの中に生かすのか。このテーマを重視すべきだろう。野党連合政権構想はこういう政治的転換を求めるものになる。日本の未来はここにある。この未来は地方自治体を豊かにする未来になる。


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雑感,かつらぎ町議会

Posted by 東芝 弘明