パワハラに陥らないために
小池晃さんがパワーハラスメント(パワハラ)で謝罪し、党規約上の処分である警告を受けた。
この記事やネット上の反響を見たり読んだりした。その結果、パワハラについては、自分自身のことでもあると考えた。感情的になって強い言葉で返すというのは、まさにパワハラつながる危険性がある。まさにパワハラ問題は自分の問題でもある。
感情的な反応に対して、感情をもって返したり、相手の怒りが表に出てくると、こちらも怒りが表面に出て、強い口調になったりする。これは、議会での態度についても言える。いつでも、できうる限り自制的に対応するし、相手の意見については尊重するということを念頭において対峙しないと、怒りが強い口調で表に出たり、相手を強く叱責したりすることになる。
小池さんの問題は、まさに我が身の問題だという捉え方をして、自分の取ってきた態度を振り返ってみたい。
自分の発言によって相手の人格を攻撃しない訓練は、意識して行ってきた。相手の発言を捉えて、人間性を疑ってはならない。問われているのは発言の内容であって、発言した人間の問題ではない。発言と発言した人間は区別して捉え、批判したければ論理を批判するということを今後も貫きたい。
相手の発言に対し、怒りが出てくるのは、相手が自分の人格を攻撃したときだ。これが一番腹が立つ。厄介でもある。人格攻撃に対して、人格攻撃で返さないということが大事になる。人格攻撃に対し、論理の問題として返す努力は、引き続き強めたい。
相手の発言や提案に対して、反発することもある。考え方の違い、捉え方の違いがある場合でも、反発することがある。しかし、最近は、それらの発言に反発したとしても、そこから考えはじめることはできるようになってきた。これは過去の自分と比較すると、進歩だと感じる。
反発によって感情的に排除したような問題でも、感情が収まったら考え直すことが増えてきて、それがヒントになって視野が広がるという体験は、積み重なってきた。それは、結局、相手の意見を受け止めて、そこから考えはじめるということだ。これがいついかなるときでも瞬時にできるようになれば人間が練れてきたことになるだろう。道はまだ遠いが、そういう受け止め方が徐々にできるようになってきたのも確かなことだ。
相手に行動を求めるとき、強い口調になるケースがある。どうして強い口調になるのか。結局、相手を納得させられないから強い口調で従わせようとしているのだろう。相手を従わせる。相手を行動させるというときにパワハラが起こる可能性があることを肝に銘じ、そうならないように努力することが求められている。
強く印象に残ったことを、我が身に引き寄せて考える。自分のこととして考える習慣を身につけることが、人生を豊かに深く生きることにつながる。今回の小池さんの出来事をそういう問題として、考えるスタートにしたいと思っている。








ディスカッション
コメント一覧
まあ、小池さんもロボットでは無く血の通った人間である事が分かってある意味良かった。頭(こうべ)を垂れて謝罪した訳だから此れで良かったのではないか。ただ、田村さんのコメントが無いのはどうゆう訳か分からん。赤旗を詳細に読んでいるが全く報道が無い。むしろそっちの方が問題だ。
なるほど。ぼくは、小池さんがあの言い方でパワハラだと認め謝罪したことに驚いて、我が身を反省したということです。ぼく自身の問題だよねということです。
成る程。