公文書が描くかつらぎ町の歴史

雑感

議員に問われる資質の1つは、自治体当局のさまざまな施策に対して、是々非々で「判断」することだと思う。難しい課題は多々ある。当局の側が情報を全部開示してくれていて、判断を求められているのであれば、「分かる」「判断できる」ということだが、全ての情報を開示してくれていないことも多い。それに対して判断を求められるので、「真実がどこにあるのか」、「この判断は間違っていないのか」問われることもある。

アクアイグニスの誘致事業について、用地売り渡しの件でいえば、立木補償を含む買収予算が2億円を超えていた。売り渡しの際の用地代は1億3000万円程度だという。この件について差額が生じ、立木補償の分は、企業側に負担をかけないという話は、された覚えがない。今年度予算に公有財産の処分として、この件で計上されているのは1億3000万円のみとなっている。

「そんな話は聞いていない」
ぼくはそう思う。用地を取得して転売するだけという話の中に、立木補償の分も含まれていると、ぼくは「勝手」に思っていた。しかし、「さにあらん」ということだ。
「そういう話はしていますよ」
と当局はいうのかも知れない。

かつらぎ町は、過去の事業について、公文書に記録を残している。しかし、事実を克明に記録している訳ではない。古い話でいえば、昭和の合併のときの「かつらぎ町」という町の名前を決めたときの公文書を読んでも、どうして「かつらぎ町」になったのかという記録はない。したがって、町史編纂のときに、
「なぜかつらぎ町という名になったのか」
こういう角度からの記述はできなかった。

このような話は、ずいぶんたくさんある。
かつらぎ町の京奈和の西パーキングの指定管理、北店の話。途中から北店は寄付金を指定管理のルール以外で納めるようになった。この話を聞くと、担当課は企業が自主的に途中から「寄附」をしてくれたのだという。しかし、ぼくや他の議員は、こういう角度から質疑をしたことはない。企業の側からの自主的な寄附などという質疑はしていない。

総合文化会館は、公式な名称をシビックセンターという。この名称は、役場という官公庁の施設を一か所に集めて、シビックゾーンをつくるという溝端町長の「構想」を具体化したもので、その象徴として総合文化会館をシビックセンターとしたというのは、自明のことだった。しかし、今、公文書を探してもシビックゾーンという考え方は見当たらないのだという。

「八風の湯」の前身だった「野半の里」は、多くの出資者から資金を集め、事業を展開したが最終的には自己破産した。その結果、多くの出資者には資金が戻ってこなかった。かつらぎ町は最終段階で野半の里と契約を結んで、花園地域のグリーンパークの管理委託を任せていた。休園中のこのグリーンパークに「野半の里」は人を集め、かつらぎ町と契約を結んで、事業展開する説明を行い、出資を募ったが、これは破綻寸前の会社の自転車操業だった。かつらぎ町を出汁にして、詐欺商法を展開したような形になった野半の里の問題は、かつらぎ町の公文書を探しても、言及はないだろう。

こういうように、公文書が語る歴史というのは、何とも心許ない。本質に迫りたい議員がいて、丁々発止の質疑が行われても、当局が頑なに、議員の指摘を否定しつつければ、公文書に正確な歴史は残らなくなる。こういう率直性のなさが、かつらぎ町の歴史には積み重なっている。

このような歴史を重ねているかつらぎ町でいいのだろうか。
そういう気持ちになってくる。


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雑感

Posted by 東芝 弘明