卒業式に参加した
今日は笠田中学校の卒業式だった。幸いなことに、ぼくたちが中学生だった頃の校舎と体育館は、補修や耐震改修がなされてきたけれど、同じ建物のまま、今に引き継がれている。卒業式が巡るたびに、ぼくは来賓の一人の議員として、笠田小学校と笠田中学校に足を運んできた。卒業式の式次第もほとんど昔と変わらない枠組みで行われている。違いは、そこで語られる挨拶と歌ぐらいだろう。
卒業生に贈る言葉が、印象に残るかどうかは語る人による。Appleのスティーブ・ジョブズのように話した言葉が、今日にも伝えられて、半ば伝説のように生きているものもある。印象に残る言葉の中には、語る人の生き方が込められていることもある。そういう挨拶に出会いたいと思いながら、卒業式に足を運んでいるとも言える。
卒業生や先生方が卒業式で流す涙は、参加した人々に清々しさを残して尾を引く。今年の卒業式も、空気の冷ややかな中でのものになった。過去には体育館の外で雪が舞っていたこともあった。中学校の卒業式には冷たい空気がよく似合うのかも知れない。
「仰げば尊し」は歌われなくなった。でもこの曲は、卒業式が巡るたびに心の中によみがえってくる。冷たい体育館の中に同級生の女の子たちの細く高い澄んだ声がよく似合っていた。この曲が作られたのは1884年だから、ぼくたちが歌ったのは誕生してから91年目だったことになる。台湾では中国語でこの『仰げば尊し』が今もまだ歌われているらしい。文化は植民地支配という悲しい時代背景の中でも、受け入れられその国に溶け込んでいくということだろうか。
いま、全国の小中学校で最も良く歌われている曲は、『旅立ちに日に』だ。この曲は、荒れていた秩父の中学校で校長先生が作詞し、音楽の先生が作曲して生まれた曲だった。ウキペディアには、次のように記されている。
『旅立ちの日に』(たびだちのひに)は、1991年(平成3年)に埼玉県の秩父市立影森中学校の教員によって作られた合唱曲である。作詞は当時の校長であった小嶋登、作曲は音楽教諭の高橋浩美(旧姓・坂本)による。編曲は、松井孝夫他、複数の作曲家によるものがあり、原曲および混声三部版・混声四部版は変ロ長調、同声二部版は変ロ長調またはハ長調、同声三部・女声三部版はハ長調である。2000年代以降、卒業ソングの定番として認知されている。
笠田中学校は、卒業生の中で歌う曲が決められ歌われているが、必ずこの『旅立ちの日に』は歌われてきた。ピアノ伴奏も卒業生の中から弾く人が選ばれている。かつらぎ町の卒業式で、いつ頃から歌われ始めたのか、記憶は定かでは無い。歌われはじめて20数年になるということだろうか。
ぼくにとって、笠田中学校は心のふるさとの一つになっている。この校内にあった寄宿舎で3年間を過ごしたので、体育館や学校の校舎、グラウンド、プールなどは、自分たちの生活上の庭のようなものだった。あとどれぐらい、この校舎に足を運んで卒業式に出席できるだろうか。そんなことが浮かんできた。



