匿名性の鎧の中で相手を攻撃するのはやめた方がいい
匿名性のもとで、相手を誹謗中傷する文章を書き続けると、自分に対して次第にナイフのように言葉が自分を傷つけると思っていたが、どうも違うようだ。
社会的な存在である人間は、社会的な関係性があるなか、さまざまな配慮をしながら言葉を選んで発言している。もちろん、本音を一切吐き出せない場合は、ストレスを抱え込んで、そのストレスで自分を壊してしまうこともある。相手の人格を傷つけることなく、言うべきことをきちんと伝える努力の中にこそ、人間としての社会性がある。
人間の中には、暴力性もあれば攻撃性もある。相手を否定したい感情もあれば、捉えどころのない怒りもある。それを抱え込んで生きている人が多い。なかなか本音を言えないという制約があるけれど、それは人間を形成する上で、人間に奥行きをもたらし、思慮深さも合わせ持つようになるという側面もある。本音を言えないことは悪いことばかりではない。
エックスなどで、匿名性の鎧に身をまとって、相手の人格を否定し、攻撃するような文章を書き続ける行為は、人間として本音を吐き出している訳ではない。日常の中で本音を吐き出せない人間が、憂さ晴らしのために見ず知らずの人を攻撃する。匿名性の中では、相手を攻撃しても自分は攻撃されない。このような行為を続けると、心の中にあるリミッターが外れて、自分自身の考え方が、自分の書いた言葉に染まっていく。書く行為が自分を作る。文章を書く恐ろしさはここにある。
エックスなどで日本共産党に対して攻撃を加えると、もらえるアルバイト料が増えるという仕組みがあった。このようなアルバイトは今も存在しているかもしれない。事件として明らかになったケースもある。「Dappi」の事件がその例だ。共産党や野党の議員を攻撃する書き込みを組織していた会社の主要取引先は自民党だった。
エックスでは140文字に制限をかけて書いている人の方が多い。偏見と憎悪、事実無根の攻撃を短文で投げかける。反論したい側は140文字という制限に苦しむことになる。事実無根の攻撃に短文で反撃するのは不可能に近い。
日本共産党は、政党の中で最も批判に晒されている政党であるのは間違いない。日本共産党を攻撃する本を書けば商売になるケースがある。共産党員だった人が、日本共産党を除名されたあと、日本共産党を攻撃すれば、本が出せて一定売れたりする。社会的に名の通った人であれば、もてはやされテレビ出演も実現したりする。日本共産党を除名された人が、いつまでも日本共産党関係で「商売」している。日本には、共産党攻撃がビジネスとして成り立つ世界がある。共産党攻撃の必要性が、経済的な裏付けをもって、社会的存在として認められている。
エックスの世界でいえば、批判されて当たり前の日本共産党に対して、匿名性の鎧に守られて攻撃すれば、自身が身の危険に晒されることはない。こういう構図が成り立っている。
ストレス発散のために、匿名性を活用して、見ず知らずの相手を徹底的に攻撃する。そういう人が増えている。不祥事を発見すると寛容性のない批判がわんさか集まって炎上する。こういう傾向によって、社会が振り回されている。この傾向と匿名性による人格否定の傾向は底流でつながっている。



