政治と経済を国民の手に

雑感

階級闘争とは何か。日本社会も階級闘争の中にあるというと、驚く人も多いのではないだろうか。しかし、現実の社会の根底には階級闘争がある。

「日本共産党はいいことを言っているのに何で伸びないのか」
こういう疑問をもたれる人は多い。この疑問の根底に横たわっているのが、経済的な利害の対立だ。階級闘争というのは、経済的な利害の対立が、政治的な対立なども含めて生まれるということだ。

経済界の中で最も嫌われている政党は日本共産党だということになる。
例えば消費税の減税。日本共産党だけがいま、財源を示している。消費税の導入は、庶民に消費税を押しつけながら、法人税と金持ちの減税を進めるために導入したものだった。この歴史的な経緯を踏まえれば、消費税減税の財源は、大企業と大金持ちに対する行き過ぎた減税の是正、つまり本来の税の在り方に戻すということになる。
1989年から始まった消費税導入と消費税増税によって日本の税体系は大きく歪んでしまった。この歪んだ税の体系を元に戻せば、日本の税体系は再建できる。それは、税金を担税力のあるところから集め、担税力の乏しい庶民の税負担は軽くするという、税本来の姿に戻すことでもある。

日本共産党の政策は、政治の中で大きな実権を握っている勢力の利害に対してもの申すものだ。この政策は、消費税導入以後の35年間の税制改革に対するアンチテーゼになっている。この政策が力をもちつつあるのは、国民の暮らしが物価高の中で悲鳴を上げており、消費税減税を切望しているからに他ならない。消費税導入の35年間の歴史の清算が課題になっている。

この課題は、日本の税体系の根本問題のひとつ。この根本問題の根底に横たわっているのは、巨大な経済力をもった勢力との綱引き、経済的利害の対立、ここに階級闘争がある。日本を牛耳っている政治勢力から見ると、日本共産党は一貫してブレない異質な組織になっている。アメリカと大企業の異常な政治支配から目をそらさない組織、それが日本共産党だ。こういう組織だからこそ、排除の理論が生まれてくる。

戦後の政治の中で日本共産党は、組織的にも理論的にも柔軟に変化してきた。階級闘争の理論は変わっていないが、党の綱領路線の発展によって、大企業とアメリカの存在は、徹底的に打ち倒すべき敵という捉え方ではなくなっている。
アメリカとの関係では、従属関係を脱皮して対等平等の関係へと発展させることが、目標となっている。アメリカは憎むべき敵ではない。
大企業の方は、経済的民主的規制を行って、経済的な支配という横暴をやめさせ、国民主権を文字通り実現するところに目標がある。その先にある社会主義的な変革では、巨大な企業のいくつかの生産手段は、社会の手に移行する。これを生産手段の社会化という。これは、生産手段を社会的な管理にうつすということだ。しかし、人類はこんなことをしたことがない。生産手段の社会化を通じて、労働者が生産の主人公になるような生産関係を作り上げるためには、かなり長い試行錯誤がともなう。このプロセスは、巨大な企業の存在をなくすのではなくて、巨大な企業の管理の仕方を、国民と日本社会に奉仕する組織に転換するものになる。

日本共産党は、大企業の破壊者でもなければ、解体を望むものでもない。生産手段の社会化を通じて、資本主義的な搾取の廃止をおこない、労働時間を抜本的に短縮する。このことによって、労働の生産物である商品生産は、今以上に喜びに満ちたものに変化するだろう。人類の自由な発展に奉仕する商品生産。ここには物づくりの喜びがある。

当面、日本共産党が目指しているのは民主主義革命。日本国憲法の全面的な実現と、それを実現していく法体系の整備。憲法違反である法律の改正などが課題になる。同時に日本の豊かな生産力を生かして、国民生活の経済的な向上、労働時間の短縮、自由な時間の拡大、個人の個性の豊かな発展などが具体化されていく。ジェンダー平等が実現し、人々は自分自身の生き方の主人公になる。そのための法整備も求められる。
この先にかなり長いプロセスをともなう社会主義的変革がある。社会主義的変革は、階級社会に分裂した以後、はじめて搾取の廃止を社会の隅々に渡って実現する。社会主義的変革が始まっても、ここにいたるまで100年以上の時間が必要になるかも知れない。階級がなくなり、自由が花開くようになると人類の本史がはじまる。

日本共産党が、階級闘争を通じて実現しようとしているのは、国民こそ主人公の新しい日本だ。
政治と経済を国民の手に。この言葉に込められた意味は深い。

雑感

Posted by 東芝 弘明