当事者こそが主人公
国民主権とは何か。
一般質問の最中に頭をよぎったものがある。政治の主人公は国民で主権は国民にあるというのは何か。
改めて思うのは、生活している場こそが主権を発揮している場であり、生活の場に政治があるということだ。地域生活にしても、家庭生活にしても、仕事や学校にしても、政治が関わっていない分野はない。しかもこういう分野の方が、はるかに多い。当事者でない為政者が、制度を決定し社会をコントロールしている。
一方、地方自治体も国も、膨大な意思決定を行っている。自治体の意思を決定している物の中には、国民とどう関わっているか分かりにくいものもある。しかし、それらのことも、国民と無関係なものはないだろう。それらはすべて国民の信託を受けたものだ。
この2つの分野の主人公は、すべて国民だ。ガバナンスは、統治という意味だが、この言葉には上から目線の感じがある。
たとえば会議。会議の主催者は会議の主人公ではなく、あくまでも参加者が主人公だ。
これと同じように自治体を運営している機構全体は、政治の主人公ではない。意思決定を行っている機関はあくまでも国民の信託を受けているに過ぎない。
行政の意志決定に国民こそ主人公を貫く。この場合、2つのことが考えられる。一つは国民多数の意志に従うこと。もう一つは、一人ひとりの基本的人権を守り保障すること。
まちづくりのような政策は、広く意見を聞きながら意志決定をすべきということになる。大きく意見が食い違う場合は、話し合いを重ねるということになる。問題が難しくなればなるほど、意見が分かれていくので、この場合は、広く問題点を明らかにしながら合意を形成するということになる。
住民に意見を聞きながら話をすすめるということは、まちづくりそのものになる。住民は要望主体、行政は実行主体ではなく、住民も行政も情報共有を行って、対等平等の立場で意志決定に関わることをめざすということになる。自治体の主人公は住民であり、住民は行政と同じ立場で意志決定、判断を行うということになる。これが実践的住民自治の姿だろう。
民間の会社でコミュニティデザインという仕事に携わっている人々がいる。この会社は、住民が主権者で判断を行う主体になるよう、かなり時間をかけて情報を住民に伝え、行政と同じ立場で物事が判断できるところまで、学習を重ね、その上で住民と行政のコラボレーションを図っている。学習の期間は3カ月を要することもある。
行政と同じような判断力をもった住民と行政とのコラボレーションは豊かな政策を生み出す。こういうまちづくりが行われると、新しい変化が生まれる。
住民の基本的人権を徹底的に保障し、公的サービスにアクセスするよう制度を整えるという分野はかなり歪んでいる。制度の持続可能性ばかりを強調する中、国や都道府県、市町村は、極めて重い負担を国民に押しつけている。
その最たるものの一つは消費税だろう。税の民主的な制度を決めるのは国民なのに、国は、この36年間、国民に対してまともな情報開示を行わず、あたかも消費税が公平な税であるかのように宣伝しながら、大企業と大きな株主への減税を進めてきた。その結果、日本経済は発展しなくなり、格差と貧困が広がり、富の偏在が顕著になった。
こういう制度を国民は求めていない。直接税中心、総合課税、累進課税、生計費非課税という税の民主的な原則を守っていれば、こんな日本にはなっていない。
トランプ大統領が、大統領令を乱発して政治を行っていると、「王はいらない」というデモが起こった。政治の主人公は、市井に生きる国民であって為政者ではないのだ。









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