15年戦争と日本国憲法
昨年12月の一般質問で、町長と教育長に対して満州事変からアジア・太平洋戦争の終結に至る15年戦争について侵略戦争だったかどうかを尋ね、さらにこの戦争を踏まえた上で日本国憲法第9条に対する見解を尋ねた。
2人の答弁は、侵略戦争だったことを認めるとともに、憲法第9条を守りたいというものだった。
なぜ、このような基本的な見解を尋ねる質問をおこなったのか。
昨年10月の町長選挙で井本泰造町長が誕生した。日本国憲法については、今後、情勢の進展如何では、憲法改正が日程に上ってくる可能性がある。
ぼくは、現行の憲法を守り、第9条と第25条を軸とした福祉国家づくりをおこなうことこそ、21世紀の日本の進むべき道だと考えている。日本国憲法は、国民一人ひとりがその価値を判断して、改正するかどうかを問われることになる。
このような重要な問題だからこそ、あの戦争と日本国憲法について、町長と教育長がどのように考えているのかという質問は、極めて今日的な意義をもつものだと考えた。もちろん、簡潔ではあるが、質問の冒頭、なぜ質問するのかを明らかにした。質問の資料として、娘が現在学校で使っている中学校の歴史教科書を使った。満州事変から日本国憲法制定までのほぼ前ページを印刷したものになった。
かつらぎ町議会は、一般質問で活用する資料については、傍聴人に配布できる。資料にもとづく一般質問が行われるようになって、傍聴する人が理解しやすいようになった。こういう工夫がおこなわれている議会は、まだまだ少ない。
12月議会には、多くの女性の方々が一般質問の傍聴に来てくれていた。かつらぎ町の女性の団体が、議会傍聴を毎年12月におこなっているので、傍聴人の多くの方々はこの団体の人たちだった。
議会は、最近、傍聴席にアンケート用紙を配布しており、傍聴していただいて寄せられた感想については、議会広報の一番下の余白に掲載している。全文を載せることはできないので恐縮だが、感想を書いてくれた方々の真意が伝わるように、できるだけ原文のまま掲載するように努力している。感想を載せているので、誌面が住民の生の声を伝えてなかなかいい感じがする。率直な意見も多く読んで面白い。
ぼくの戦争と日本国憲法に対する感想には、反対意見もあれば賛成意見もあり、一番意見が分かれていた。
感想には、東芝議員には愛国心がない。中国との戦争にも止むに止まれぬ側面があったし、中国の軍人は民間人を装って日本軍に攻撃を仕掛けたりした。議員の質問には、こういう側面の指摘がなかった、歴史をもっと深く知らなければならない。教科書は改めるべきだ。というもの。戦争に対する見解にはいろいろあっていい。個人的な見解を一般質問でおこなうのはいかがなものか。というもの。もっと身近な問題を取り上げるべきではないのか。というものがあった。1人だけ、戦争から憲法制定までの歴史を取り上げて質問したのは意義深かった。という感想があった。
このようにかなり強い反応は、ぼくの予想を上回るものだった。
学問的には、15年戦争の性格については決着がついていると思っている。それこそ世界史的に。しかし、日本の場合は、政治的に決着がついておらず、繰り返し「侵略戦争ではなかった」という角度から巻き返しが起こっている。
深刻なのは、この運動が教科書検定という場に持ち込まれ、新しい日本の教科書をつくる運動として展開されていることだろう。
このような運動の結果、「新しい歴史教科書」が教科書検定を通過し、採択率はごくわずかだけれど、学校現場で使われる事態が現実のものになっている。一番懸念しているのは、これらの運動によって他の教科書会社が影響を受けて、記述を後退させる傾向が生まれていることだ。
また、国民の中には、侵略戦争だったということを肯定する人もいれば、侵略戦争ではなかったと言って侵略戦争を否定する人もいるという形で、戦争の評価を相対化する傾向が生じている。戦争の評価の問題は個人的な見解に属するということになってくれば、真実は何だったのかということがなかなか伝わらなくなる。
戦争が終わって66年が過ぎ、戦争を知らない世代が60歳を超えている時代となった今、歴史の書き換えがおこなわれる可能性が生まれている。
15年戦争をどう評価するかという問題は、日本国憲法をどう評価するのかという問題と密接不可分な関係にある。侵略戦争の歴史を歪める運動は、必ず憲法改正の大合唱と合流すると思われる。
大日本帝国憲法から日本国憲法への転換は、まさに歴史的な大転換であり、日本帝国主義の世界史的な敗北を抜きに日本国憲法の制定はなかったと考える。なぜ、世界に類のない第9条やあまり例のない第25条が条文として成立したのか、ということを深く理解するためには、巨大な戦争の犠牲を抜きには考えられない。
大日本帝国憲法は、天皇主権をもち国民主権を否定した憲法であり、軍事大権はすべて天皇にあった。この憲法の体制によって侵略戦争が遂行された。第二次世界大戦の終結は、アジア・太平洋に多大な犠牲を強いた日本の国家体制を許さず、侵略国であった日本は、民主的な国家として再編されるべきだというのが、世界の意志だった。
世界の意志は、ポツダム宣言として結晶化されていた。日本を全面的に統治した連合軍総司令部(GHQ)は、アメリカの意志を超えて憲法を制定したといっていいだろう。アメリカは、憲法制定後1年で日本国憲法の改正を求め、2年後には、憲法改正と日本の再軍備のシナリオをもつようになった。このシナリオは、アメリカによって公表されている。こういう歴史的な文書の存在を見ると、歴史を動かした巨大な力の存在を強く感じる。
ぼくは戦争を知らない。物心がついた頃は、まだ貧しさがあったけれど、ご飯を食べることができないというような状況ではなかった。まさに高度経済成長期にぼくの子ども時代は存在していた。
戦争を知らない世代だからこそ、ぼくたちの世代は、あの15年戦争が何であったのかを深く理解する努力を必要とする。この学習は、日本国憲法がどうして誕生したのか、21世紀をどのような時代にすべきなのかということと深く関わっている。
日本国憲法は、世界史的に見て画期的な憲法となった。この憲法の原則が貫かれた国として戦後が存在していれば、資本主義の矛盾があったとしても、もっと豊かな、もっと国民の権利が守られる自由な国になっていたと思われる。
日本共産党は、日本国憲法の前文とすべての条項を守る国をつくろうと呼びかけている。そのためには、日本の政治を国民主権が実現するものに改革する必要がある。日本国憲法にもとづく国づくりは、新しい政権の樹立なしには実現しない。
日本国憲法にもとづく国づくりは、日本における民主主義革命になる。革命なしに日本国憲法の全条文を守る国はできない。ここに日本の一番大きな課題がある。











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