天野小学校の廃止と民主主義

雑感

天野小学校の統廃合について。
住民が長いこと学校存続を求めていると、行政は「もういいけげんにしろ」という感じになるらしい。
最初から統廃合のタイムリミットは決まっていて、時期が来たら「はいおしまい」
もし、そういうことであるなら、民主主義はないに等しい。

「住民との合意にもとづく統廃合」というのは、単なるいいかっこだけだったのだろうか。
話し合いをおこなえば、結論が変わるということは、全く視野の外にあるのか。
一連の行政の対応を見ているとそんなことを感じる。

日本共産党は、統廃合は地域住民の合意に基づいておこなうべきだと主張してきた。
この主張は、合意に達しない場合は、統廃合が実現せず存続はあり得るということだった。
文部科学省の通知は、存続もあり得ると書いている。
行政が方針を立てる。住民と話し合いをすすめる。住民の納得が得られない。住民の意見を聞いて当初とは違う答を見出していく。
これが民主主義ではないのか。

かつらぎ町が、統廃合の方針を掲げたら、「住民の合意のもとづく」といい格好をしながら、最後は問答無用、町の方針に従えということなんだろうか。こういう方法には、怒りを覚える。
そういう姿勢であるなら、住民との協働なんて実現しない。

町長は、決定すること、方針を貫くことをいいことだと思っているようだ。
日本共産党は、合意に達していないのだから話し合いを続けるべきだという、当たり前の見解を打ちだしている。現時点では、統廃合推進の旗を教育委員会や町が降ろす必要はないといってきた。もちろん地域住民が学校存続の旗も降ろす必要はない。
必要なのは、お互いに歩み寄って話し合いを継続することだ。
しかし、町当局は「話し合いの必要なし」という態度に出て、廃止の議案を提出してきた。住民は協議の継続を求めている。

10月31日の懇談の席で、天野の司会者は、「引き続き懇談しましょう」と提案した。教育総務課長はこの提案を受け入れた。
この日の懇談で、町長も教育長も一言も12月議会に廃止の条例を提出するとは言わなかった。提出するとはいわずに、懇談の継続には同意した。なのにどうして、12月議会に学校統廃合の議案が出るのだろうか。

雑感

Posted by 東芝 弘明