ビブリア古書堂の事件手帖4

雑感

「ビブリア古書堂の事件手帖」4を読んだ。この巻は、1巻と同じようにサスペンスと謎解きがたくさん折り込まれている巻だった。扱った作家が江戸川乱歩だったので、折りたたまれ、次第に展開されるお話は、まさに乱歩的なものに仕上がっていた。
栞子さんのお母さんが登場してきて、話が新しい展開を見せたのも面白かった。

この本を読んでおかないと、気になって議会に集中して取り組めない気がしたので、夜中に本を読み切った。
夢中になって読まずにはいられないという強烈さで言えば、池波正太郎の藤枝艾安シリーズ(必殺仕掛け人)ほどではないけれど。「ビブリア古書堂」は、古い本にまつわる謎が折りたたまれているので、本や作家のお話が好きな方には、興味深い本になっている。

江戸川乱歩は、人間の複雑で多面的な面をおどろおどろしく描いている作品が多いようだ。怪人二十面相という怪盗が出てくるように、人間のさまざまな面を描いた作家という点で江戸川乱歩は希有な作家なのかも知れない。

少しだけ戦争時代の乱歩に触れておこう。
作家が自由に作品を書けなかった時代の不幸が、江戸川乱歩にも影を落としている。戦争が激しくなる状況のもとで乱歩は、戦争を賛美する内容の作品を書いている。これが、戦後の乱歩の執筆活動に影を落としている。
第2次世界大戦が終わるまでの時代、それぞれの作家がどのように生きたか、どういう作品を残したかを知ることは大事だと思う。それは、その作家の資質を問うというよりも、自由と民主主義が窒息させられた時代が、作家にどのような影響を与えていったのか、時代が作家に何を強制したのかを知ることの意味は大きいと思うからだ。

筆を曲げなかった人は少ない。戦争に協力した結果、戦後は筆を折ってしまった作家もいる。自分を合理化して開き直った人の中に住井すゑがいる。当時の教科書には、住井すゑの戦争を賛美する文章が採用されていた。戦争中の文章について指摘されて、「ほほほ…何書いたか、みんな忘れましたね」と言い、平然と自分の書きたかった作品は「橋のない川」だったから、それを読んでほしいと言ったことがある。
ウキペディアには、次のような指摘がある。

第二次世界大戦中は「農夫われ」「生産の歌」「日の丸少女」「佐久良東雄」「野の旗風」「難きにつく」など数々の軍部賛美の随筆や小説を書き、それらの作品で「戦争はありがたい」「マニラも陥ちたね、いや愉快」「神国日本は開闢以来無敵」などと書いている。この事実を指摘された住井すゑ本人は「ほほほ…何書いたか、みんな忘れましたね」「書いたものにいちいち深い責任感じていたら、命がいくつあっても足りませんよ」「いちいち責任取って腹切るのなら、腹がいくつあっても足りない」などと放言した。

住井すゑは、批判されるべきだとも思うが、作家個人に対する批判もさることながら、作家が自由に作品を書けなかった時代の恐ろしさを考えたいと思っている。あの時代の全ての作家は、どうしても時代と向きあわなければならなかった。文章を書くこと全てが監視と統制のもとに置かれた時代の恐ろしさをこそ、告発しなければならない。

ただ、現代は、時代に対する告発だけではすまない。体制に迎合して政府の宣伝と化している傾向に対しては、個人も含めて強く批判されなければならない。原発が安全だと言っていて口をつぐんだり、自己弁護している専門家なども含めて。第2次世界大戦のような歪んだ時代をふたたび繰り返さないためにも。

今日は、笠田中学校の卒業式だった。卒業式の涙には心が動かされる。少し泣いてしまった。


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雑感

Posted by 東芝 弘明