離れがたい世界に触れて

雑感,出来事

紀の川市議選挙の前から、昼食を食べに行き、料理が出てくるまでの短い間に読んでいた本があった。それからほぼ半年、そんな読み方をしたので、文庫本は少しくたびれ、表紙の下のところが少し破けてしまった。その本を、ようやく読み終えて角田光代さんの解説を読んだら、無性に離れがたい思いが湧いてきた。
向田邦子「ベスト・エッセイ」。
向田さんの妹さんが選んで世に出した本。1981年の航空機事故で突然なくなった向田さん。そこから41年が経ってしまったので、作品に描かれている時代は、ぼくが大人になる前のことが多い。ジェンダー平等のことを学び始めると、ジェンダーなことが意識の底に根付いてくる。向田さんの文章にも女性の生きにくさが所々に顔を出し、それを受け入れている向田さんにも出会ったりする。そういうことも含め、向田さんの文章は、時代を個性豊かなカメラで写し取ったものだと感じる。

「父のわび状」を読もうかと思って本棚を探しても見当たらなかったので、読んだことのある本棚の奥を探し、引っ張り出してきたのが、「女の人差し指」。もう少し、向田さんの描く世界に入ろうと思っている。

赤旗日曜版にときどき、でも1年間という期間、宮嶋泰子さんの連載が囲みのエッセイという形で載っていた。全部を読んだわけではないが、有名人と対面したことのある数少ない人の1人だったので、文章のいくつかが心に残っている。その最終回、コロナの中で足の骨を痛め、杖なしでは歩けなくなったことが書かれていた。驚きながらそれを読んで、スポーツキャスターだったので筋肉を鍛えているという話に少し安堵した。
日曜版には、有名人も含め、人の気持ちというものがしっとりと書かれている。小椋佳さんがどうして井上陽水さんに歌を提供していたのかということも、小椋佳さんの文章を通じて知ったのも日曜版の記事だったし、倉本聰さんが北海道で強制労働させられていた朝鮮人の人々のことを書いていたのを読んだのも日曜版だった。4月3日の日曜版には、吉行和子さんの3回目の連載が載っている。人の人生は偶然の積み重ね、そこから転機が始まることもあることを、思わせてくれる文章だった。

今日は、かつらぎ町議選挙が近いので、仕事を減らして頂く契機になる会議があり、そのあと学習会があった。いつも、Keynoteというプレゼンテーションのソフトで紙ベースの資料を作って、それで質問を行っている身なのだが、同じプレゼンテーションソフトで、正真正銘講義のためにプレゼンテーションとして使っているのを見る機会を得た。
「やっぱりそういうためのソフトだよね」
改めてそう感じた。資料しか作成していないので、表の見せ方が列ごとに、もしくは行ごとに表示できることさえ知らなかった。面白い見せ方だなと思いつつ、今度機会があれば、使ってみようかなという気持ちになった。

アメリカの若者は、資本主義が限界を見せる中で、次の社会の展望として社会主義を求め始めている。アメリカの若者が求めているのは、ソ連型でない、平等を国民に押しつけるのではない社会主義、機会の平等は保障するが、自由を拡大する社会主義だ。それはマルクスが展望した社会主義とも重なる。日本の若者がそういう未来をまだ捕まえられていない中で、日本共産党の未来社会論を改めて学んで、若者の希望となる力をもった未来社会論を伝えたいと感じた。

日曜版には、自分の人生を吐露して誠実にドラマチックに生きている人々の息づかいがある。この新聞に集まっている人々がすべて、日本共産党の描く未来社会に共感していると言うことではない。ただ、少なくともここで連載を引き受けている方々は、日本共産党が、平和を大切にし、自由と民主主義、個人の尊厳を大切にしている政党であることへの共感はあるだろう。さらにこの共感は、日本共産党が展望している自由と民主主義、個人の尊厳が保障される未来社会につながるものだと思われる。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

雑感,出来事

Posted by 東芝 弘明