弔いの言葉と反戦平和への決意
平和の礎として戦没者を弔うために
「今の日本の平和が、これから先も続きますように。」というのは、多くの人々の思いだと思われる。日本が戦争をしない国、武力を持たない国だということも、多くの人が知っていると思う。同時に自衛隊という名の世界でも有数の事実上の「軍事力」があることも知っている。微妙なバランスの下に日本という国がある。こういう微妙なバランスは、結局、綱引きの結果として生まれている。
日本のこの微妙なバランスが、これから先も続いていくと思っている人は多いだろう。しかし、この綱引きの中で巨大な権力を握っている国家という機構が、5年間で43兆円、年間8兆円を超える軍事費を組んで、南西諸島に大規模なミサイル基地を造って射程距離1000㎞を超えるミサイルを配備しようとしていることを、どれだけの人が知っているだろうか。敵基地攻撃能力も自衛の範囲だといい、中国が攻撃を仕掛けてくる前に、日本が中国にミサイルを撃ち込む計画が進んでいることを、どれだけの人が知っているだろうか。
戦没者の人々に対して「あなた方は戦後の平和の礎になりました。あなた方の犠牲を忘れません」という言葉がよく発せられ、平和を誓うことが多い。しかし、なんだか違和感を感じてきた。この違和感はどこから来るのだろうか。そういうことを見つめたいと思っている。
日本が中国大陸に出張っていき、さらに東南アジアまで戦火を広げていったことによって、日本は第二次世界大戦に参戦した。世界の領土を再分割するために日本は当時のファシズム国、ドイツ及びイタリアと手を組んだ。この戦争は、日本を守る防衛戦争ではなかった。
ぼくの父は支那事変の後半の部分に参加し、中国人の多くの民間人を殺害している。日本軍人として、斥候の任務について、いわば仕事として、老若男女の中国人の命を奪っている。父は戦後、自分のこの行為に対して苦しんだ人間の1人だった。アジア・太平洋戦争で命を失った日本人は310万人、日本軍の手によって命を失ったアジア諸国民は2000万人。この失った人数の違いは、日本が侵略戦争をおこなった揺るぎない一つの指標になっている。父のような軍人が、日本兵の中には数多く存在したのは間違いないだろう。
日本の平和は、日本の仕掛けた戦争が、敗北をもって終結したことによって生まれたものだった。日本が戦争に勝っていたら、国民主権は実現しないまま、女性にも参政権が認められず、基本的人権が確立しない状態で、戦争をずっと続けていたかも知れない。軍人だった戦没者の人たちの犠牲を、平和の礎として尊ぶためには、この人たちの前で、恒久平和と反戦を誓うべきだと思っている。これは、広島の原爆碑にある「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という言葉の精神と同じだと思っている。この反戦平和の精神は、日本国憲法の前文にも明確に示されている。
「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
主体性をもって学ぶということを、ぼくは今かみしめているので、戦争のことを思う気持ちは、ぼくの中では、今の軍拡と直結している。日本政府がアメリカ軍の傘下に自衛隊を組み込んで、アメリカ軍の指揮の下で動くことまで決めてしまったことを曖昧にするわけにはいかないし、南西諸島へのミサイル配備に対しても、反対という意思を示す必要があると感じる。
現在進行形の日本の大問題を、自分ごととして捉えないと平和は守れない。平和を守るためには、1人1人の人間が、自分の立場から発言することが求められる。「平和は眠りを許さない」という言葉は、1人1人に発言を求めている。社会的立場にある人間こそ、忖度なしに平和を守る決意と態度が求められる。反戦平和は、平和を貫く決意なしには守れない。戦後の原点を貫く勇気が問われている。
議会だよりは新しいメンバーでスタート
午後、議会だより編集特別委員会を開催した。新しいメンバーになったので、編集方針の詳細を説明して学習した。8月27日に委員会が開かれるので、この日から103号の編集が始まる。今の編集方針になって初めて参加する委員は3人。この人たちの新しい力を生かして、よりよい紙面作りになるよう努力したい。









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