基本条例の見直し、最終段階へ

雑感

自分のことを反省した。自己反省は脳との闘いなのかも知れない。自分の脳も、脳一般も時間が経過し体験が過去のものになると、自己を弁護するように記憶がすり替わることが多いという。まわりの人を見ていると「そういうことかと」思うことも多い。

一方で自分のしたことを、深く反省し続けている人もいる。そういう人は、その体験を通じて変化してしまう。生き方が変化する。傷口は癒やされることがなく、触れると血が流れる。こういう反省を抱えている人の人生は苦しい。でもそういう思いを抱えている人は存在する。どこかで癒やしが必要だとも思われる。過去は消えないが癒やしは力になる。
浅い傷のものは、反省しても時間が経てば忘れる。昨日書いた反省はそういう類いの浅い体験に基づくもの。それだけに文章にして刻んでおく必要を感じた。忘れるからこそ、教訓を導き出して記憶する必要があるのだろう。ぼくが肝に命じ直したかったのは、「人格攻撃はしない」ということだ。自己嫌悪が生まれたのは良かったと思っている。自分のしたことに対して、自分の中に違和感が生まれたということは、「人格攻撃はしない」と言い聞かせてきたことが、一つの尺度になっていたことを意味するのだと感じた。今回は、この自己嫌悪の記憶を大事にしたい。

午後、1時30分から議会関係の条例の見直しについて、総務課との懇談を行った。3人の職員に、今までかなり長時間関わっていただき、真剣に向き合ってくださったことを感謝する。今回は、総務課の方から提案をいただいた。嬉しかった。真剣に議会が検討してきた条例の修正について、我がことのように取り組んでくれる気持ちが伝わってきた。
議会が条例案の提案という領域に入って行けば、町当局との関係が新たに深まる。今回の議会基本条例の改正案の中には、議員が条例案等を提出する際には、事務上の誤りが生じないよう自治体職員との協議を行うことを明記した。数か月にかけて総務課の職員に懇談していただいた今回の経験は、条例改正案を事前に体験するという機会となった。

ようやく議会基本条例関係の改正協議を終わる目処が立ってきた。委員会での最終確認が終了すると、議員全員協議会にこれを伝え、意見交換を始める。条例の血肉化がテーマとなる。1年間にわたる努力が実りますように。

役場からの帰り、相談事の返事をするために訪問した。かつらぎ町の国民健康保険の被保険者は、医療機関で特定健診の健康診査を受けるときには、役場から届いた所定の用紙を使う必要がある。この用紙の裏には、健康診査のデータは保健指導に使わせてもらと書かれており、この用紙を使うことによって、データの活用に同意が成立する旨が書かれている。この書き方には、同意するかどうかの選択肢がない。用紙の使用=同意の成立という形でいいのかどうか。議論が分かれるだろう。

お会いしたときに書き上げた小説を手渡した。感想を聞かせてもらうことになった。好意的な反応であれば、原稿を「民主文学」という雑誌に送ろうと考えている。


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雑感

Posted by 東芝 弘明