人生は発見の連続かも?

雑感

たった一度きりの人生。人間は、悟りの境地に達したり、達観なんかはしないのではないだろうか。もし、達観している人がいるとすれば、それは頭でっかちの大いなる「誤解」というものではないだろうか。

人間の本質が分かったと言って、悟りの境地に達した人がいるとしたら、その人の未来は面白くないだろう。悟り=終着駅なんだから。そこから先がない。
年齢とともに顔も姿も変化して、鏡に映ったり、写真に写る自分を見て、主観的な自分とのギャップに驚くという感覚を、最近は味わっている。こんな感覚は、20代、30代のときには想像がつかなかった。
新しいことを学び、視野が開かれると、学ぶことが素晴らしいと感じるというような感覚は、若い頃は持てなかった。新しいことを知って、夢中になるようなことはあったとしても、若い頃の夢中さよりも、65歳の今、新たなことを知る喜びの方が深いと感じる。いくつになっても、人は成長できるという実感は、65歳の今の方が大きい。
毎日が新しい変化の中にあるので、いくつになっても、新しい感覚が生まれてくる。
たった一度きりの人生の中で、変化して行く自分というものには、新しい感覚が付きまとう。この感覚にマンネリ化はない。
それが生きるということなのかも知れない。

記憶力の衰えを嘆くことはない。おそらく新しいことを「覚える」力は落ちているだろう。しかし、ぼくの場合、記憶力に依存するような学びをしたことがない。そもそも覚えるような学び方をしていない。ただひたすら、学んだことの意味や内容を考えている。だから、記憶力の衰えを嘆くという経験がほとんどない。

ただ、若いころ、自然にできていた新しい歌を覚えるということが苦手になっている。幸か不幸か、最近の新しい曲は、歌えそうにない。難しい。自分から見ると次元を超越した超絶技巧な歌が多いので、とてもじゃないけどついて行けない。しかし、ついて行けないことを嘆くことはなく、古い歌を歌っている。そう思っていると、昭和歌謡という言葉が流行ってきた。誰もが歌える昭和の歌が、若い世代にも受け入れられている。超絶技巧について行けない人が、古い歌を求めているのは面白い。

おそらく、毎年、生きているプロセスの中に新しい発見があるのだと思っている。それを素直に喜んで生きる。肉体の衰えも新しい発見の連続した過程なのだと思う。そこにも深い発見がある。死に至るまで驚きの連続のような発見。それが一度きりの人生の味わい方なのかも知れない。

雑感

Posted by 東芝 弘明