兵事係のことが忘れられない
最近、終戦が近づくと戦前の役場や市役所にあった兵事係のことが思い出される。以前、かつらぎ町でもこの兵事係に関連して少し調べたことがある。多くの自治体では戦没者名簿が作られ、この名簿に基づいて慰霊祭が行われていると思われる。しかし、日本のほとんどの地方自治体では、第二次世界大戦時の戦死者でさえ、正確には分からなくなっているという事実がある。
1941年12月8日以降のアジア・太平洋戦争の戦死者数、中国への全面戦争に転じた1937年以降の日中戦争の戦死者数、どの戦闘でどれだけの人が死んで、それらの家族がどうなったのかという戦争に関わ記録が、ほとんど残されていない。
市町村に置かれていた兵事係は、徴兵事務、在郷軍人・遺族の援護、軍事教練という事務を担っていた。この係が召集令状である赤紙を配り、召集から退役に至るまでの情報を全部管理し、兵士への軍人恩給や遺族に対する弔慰金の管理をしていた。これらの記録を「燃やせ」と命じた国家とは一体何だったのだろうか。
英霊と言って褒め称えている行為は受け入れがたいとぼくは思う。戦争を遂行した勢力は、国民を徹底的に支配したが、支配していた国民の命を大切なものだとは考えていなかったのではないか、という疑念が消えない。
例えば731部隊。日本の侵略戦争を裏付ける膨大な記録の多くは、証拠隠滅という行為によって失われている。731部隊(部隊には番号がついていた)と呼ばれていた「関東軍防疫給水本部」の人体実験、毒ガス実験、細菌戦の研究などが、あたかもなかったかのような言説もあるなか、いまだに731部隊を巡っては、事実が定かにならない傾向がある。最近では山添拓議員が、政府に731関係の公文書を認めさせるという点で成果があり、同時に隊員の証言も引いて、政府による真相の解明を迫った質問がある。
参政党という勢力が、あたかも外国人に特権があるかのように訴えて選挙をたたかった。選挙後、この党の代表である神谷宗幣氏は、外国人に対し「外国人が平然と日本で生活保護を受け取っている」、「日本人は生活保護を無理やり打ち切られている」、「外国人には国民健康保険料の免除がある」と自ら発言したのも関わらず、選挙後、ニコニコニュースによる記者会見で神谷氏は「外国人特権という言葉は使っていない」「外国人特権は無い、徴兵制は合理的でない」と述べ、自身の発言を修正している。
ぼくが恐ろしいと感じるのは、このような勢力が権力を握ると、自己の都合のいい言説だけを認めるような傾向が生まれ、ヒットラーが1933年に実施した焚書(ふんしょ)事件(ナチス政権が成立後、ユダヤ人作家や共産主義者、平和主義者、自由主義者など、ナチスの思想に反する書物を全国各地で焼き払った事件のこと)が起こると思われてならない。
歴史研究は、事実が確定しないと諸説入り交じることが多い。研究が自由に行われないと、歴史的事実が明らかにならない。自らの言説をその場しのぎで自由に言い換える政党が、権力を握るととんでもないことが起こる。安倍政権が統計を改ざんしたり、公文書を改ざんしたが、同じようなことが起こるのではないだろうか。
兵事係のことさえ、多くの国民は知らない。兵事係の人の中には、管理していた文書を「人の生死に関わる文書」として抱え込み、文書を隠した事例がある。保管場所は自宅の蔵の中というケースもあった。
兵事係だった人の証言として「一度戦争で殺された人たちを、記録を消すことによって二度殺すことになる」という言葉が残されている。この言葉は公文書管理の専門家である加藤聖文氏によって紹介されたものだ。上層部からの焼却命令に対して、良心の呵責を感じた担当者がいたのは間違いない。
日本政府の焼却処分の命令によって、兵事係が管理していた記録は、全国でほとんど失われた。この焼却処分が、国民の生活をどれだけ苦しめてきたか。文書がなくなったことによって、戦死者のかけがえのない記録がどれほど焼失したことか。軍人恩給や弔慰金がどれほど失われたか。ここには当時の日本政府の非人間性が表れている。少なくとも焼却処分を命じた当時の日本政府は、戦死者のことを英霊などとは思っていない。
二度と赤紙を市町村職員に配らせてはならない。










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