不破哲三さんが亡くなった

2025年12月30日、午後1時20分、不破哲三さんが亡くなった。来年の1月に誕生日が来るということだったので、滿96歳になる少し前、95歳で亡くなったことになる。この方の本を読んできた。しかし、ある時期から不破さんが書くスピードよりも、ぼくが読むスピードの方が遅くなり、読まないまま本棚に並んでいる不破さんの本が増えてきた。とくに党委員長の職から中央委員会議長に代わってから、不破さんの古典研究のスピードが上がり、かなりの本が出版された。
1961年、日本共産党の綱領が確立し、自主独立の党として、民主主義革命から連続して社会主義革命へという路線を確立して、活動を展開する中で、不破哲三さんは、日本共産党の中心で活動し、国会議員を34年間務められ、国会論戦でも大きな足跡を残した人だったと思う。34年間議員をされてきた仕事の密度は、すごいと思う。同時に多くの仕事を並行してこなせる人だった。
日本共産党は、1970年代から80年代にかけて、毎年夏に「人民大学」と称する学習会を開いていた時期があり、1981年8月21日から24日の日程で、中央人民大学が白浜町で開催された。不破さんは、「『資本論』と今日の時代」と題して特別講座を行った。ぼくは、この講演を舞台の袖口で、不破さんに何かあったら不破さんの身を守るようにという幹部防衛の一員として、話を聞いていた。舞台の袖口で立ったまま、不破さんを見ながら講座を聴き、話の内容を感銘を受けながら聞いていた。ぼくはまだ20歳だった。
この特別講演は、同年10月、「前衛」に掲載され、1982年5月に「『資本論』と今日の時代」という題名の本として出版されている。本になってから何回かこの本を読んだ。特別に思い出のある本だった。
不破さんは、地方自治体の選挙応援に入り、その時期、時期の自治体の具体的な分析をもとに、選挙の意義を鮮明に語り、日本共産党の躍進を訴えるという演説を盛んに行っていた時期がある。和歌山県議会議員選挙の前に、県民文化会館で日本共産党演説会が開かれ、不破さんの講演は、当時の和歌山県政の具体的な分析を土台とした話だった。当時ぼくは21歳ぐらいだったと思う。
東京からやってきた不破さんが、和歌山県政の深い分析を行いながら、日本共産党の果たす役割や躍進の意味を大きく構えて話すのを、ぼくは驚きをもって聞いた。どうして、こういうことができるんだろうという驚きがぼくにはあった。
このときもぼくは幹部防衛の一員だった。10数人で和歌山駅に不破さんを見送ったとき、不破さんは一人一人と握手して列車に乗り込んだ。暗いホームで、ぼくたち一行しかいないなか、不破さんの顔に当たる蛍光灯の光を覚えている。ぼくも背の低い人間だが不破さんはさらに背の低い人だったし、手は小さく柔らかだった。
不破さんの古典研究が大きく飛躍する土台となったのは、『エンゲルスと資本論』、『レーニンと資本論』、『マルクスと資本論』というシリーズを書いたころからだったのかもしれない。そこから同時並行的に古典研究に力を注がれた。この一連の中で資本論そのものの研究がなされていった。それが、2000年の規約改定、2004年の綱領改定へとつながった。
マルクス・エンゲルスの理論を発展させたのはレーニンであり、マルクス・レーニン主義と呼ばれもしていたものを、レーニンの功績をつぶさに分析していく中で、レーニンの中には受け継ぐべきではない理論的にも実践的にも誤りが含まれていることを明らかにしたのも不破さんだった。
10冊に及んだ『レーニンと資本論』は、まだ全部読めないまま、本棚に並んでいる。『日本共産党にたいする干渉と内通の記録─ソ連共産党秘密文書から』(93年)という本も、どうしても読みたいと思う本だ。未だに読めていないのが哀しい。
不破さんの小さな本に中に、共産主義という日本の訳語についての小さな研究があった。明治時代、開国とともに外国から数多くの理論が日本に入ってきた中に、大きな存在としてマルクスやエンゲルスの理論があった。当時明治初期の知識人が苦心して日本語に外国語を置き換えていた中、用語の統一が大きなテーマになった。コミュニズム(Communism)をどう訳するのか。語源をたどっていけば共同ということになる。共産主義を共同主義という訳語に統一していれば、日本における共産主義は共同主義ということになっていた可能性はある。
訳語の統一を図る作業は集団で行われ、もちろん全ての訳語に責任を負っていた訳ではないが、大きな役割を果たしたのは、東京帝国大学のチームであり、コミュニズムを共産主義という訳語に統一しようとしたのはこの大学だった。共産主義というこの訳語はなかなかいいと思っている。共同の「共」、生産手段の社会化の意味を込めた「産」、つまり共産主義というのは、「共に生産する」という意味でもある。「産」を産業の産だと説明してもいいとも思う。商工会の副会長だった議員の人に「共産党というのは名前が悪い」と言われたときに、「共は共同の共、産は産業の産です。ですから商工会と同じです」と説明すると、しばらく絶句したことがある。
共産主義という言葉が、同じ漢字圏である中国に渡り、中国も日本と同じ共産主義、共産党となった。日本共産党は中国共産党と同じように見られることが多いという誤解があるが、訳語をたどると日本の共産主義の方が歴史が古いということになる。
不破さんのこの研究が好きなので、日本共産党は名前が悪いと言う人には、「名付け親は東京帝国大学です」といい、さらに「産は産業の産です。共に生産するというのが共産主義です」と説明している。この説明の仕方が面白い。説明をするたびに、不破さんを思い出す。
ご冥福をお祈りしたい。









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