権利を権理と訳した福沢諭吉
一般質問が終了した。今回の質問は、準備の過程でいくつかの本を読んだ。準備をしながら読んでいる本に夢中になった。こういう経験はめずらしい。
質問で紹介できなかったことがある。
以下に書くことは、「日本国憲法の精神」(渡辺洋三著)で紹介されていたことだ。
rightは「権利」と訳されているが、本来の言葉の意味には、法=正義=権利が一体のものとして入っているのだという。明治時代、rightを日本語に訳するときにかなり苦労したようだが、福沢諭吉さんたちは、rightを
権理
と訳した。「権理」の「理」には、ことわり、理知、真理というような意味がある。
「理知」という言葉の意味を辞書で引くと、
1 理性と知恵。また、本能や感情に支配されず、物事を論理的に考え判断する能力。
2(理智)仏語。真如の理と、それを悟る智慧。
という意味が出てくる。
「真理」を辞書で引いてみよう。
いつどんなときにも変わることのない、正しい物事の筋道。真実の道理。
こう言う意味が出てきた。
「権利」が「権理」という訳語なままで今日に至っていたら、「権理」は、今以上に人々にすんなりと受け入れられて、国民の生活に深く定着していたのではないかと思う。
しかし、明治の官僚たちは、「権理」という訳語を使わずに「権利」という言葉を採用した。その結果、rightは「権利」という漢字が当てられることになり、今日に至っている。
「権利」の「利」には、「利益」、「利害」、「実利」などの言葉と結びつく。「利」には日本の場合、どうもエゴイスティックな印象がつきまとう。権利という言葉に対し、手放しの無条件で正しいという印象にならない原因の一つは「利」にあると思うがいかがだろうか。
今日に至っては、「権利」を「権理」とは書けないし、「権理」を定着させることは不可能に近いが、「権利」というのは、「正義」と「真実」が含まれてはじめて「権利」になるのだから、頭の中には「権理」という言葉を置いておきたい。
福沢諭吉さんたちは深く正しかったし、よくものごとを考えていた。このことも覚えておきたい。











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