気に入った文章が書けない
橋本市の日本共産党後援会が主催した「新春のつどい」に参加した。
歌やマジックショー、踊りなどがあって楽しかった。
夜になって書きかけの原稿に手を加えようとしたが、どうしても気に入らず、書くことを止めた。こういう形になることは少ない。
今回の現象はめずらしい。
表現が気に入らない。書きかけていた原稿を全文削除して、書き直したが、どうも気に入らないので、削除した文章をもう一度復活させ、そのまま放置することにした。書こうとしているテーマは、日本国憲法の全面的な擁護についてだ。このテーマの1つの核心は、象徴天皇制も含めて守ろうということに他ならない。
象徴天皇制は、国民主権との関係をみれば、極めて鮮明だ。「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」という規定は、国民主権と象徴天皇制の関係を規定している。さらに「「国政に関する権能を有しない」という規定があり、この2つの規定によって、象徴天皇制が、文字どおり日本の象徴として位置づいていることを見事に言い表している。
昭和天皇には、極めて深い戦争責任がある。戦争責任の追及を免れたのは、まさにアメリカと日本の当時の政治勢力との妥協だった。その結果、生まれたのが象徴天皇制だった。
日本国憲法を歴史の流れの中に置いて見れば、日本国憲法が歴史の産物であることがよく分かる。徹底した基本的人権擁護は、基本的人権を踏みにじってきた大日本帝国憲法に対する徹底的な批判、徹底的否定によって生まれたものだ。恒久平和と平和的生存権は、侵略戦争に対する深い反省によって導き出されたものだった。
書こうとしている文章は、こういうことをふまえたものにしたい。理屈っぽくならずに、分かりやすく書きたい。こういう気持ちだけがある。もう少し時間をおいて書いてみよう。
>理屈っぽくならずに、分かりやすく書きたい。
素敵ですね・・・、楽しみに待っています。
ここ数日の厳しい寒さの中で、ここだけほっこりの陽だまりにであったような。
60の手習いで始めたピアノの、昨年の今頃の発表会で、夢中で取り組んだ「早春賦」のメロディーと歌詞を久しぶりに思い出したような。
なぜか、この歌も浮かびました。
柔らかに柳青める北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに
弘井様。岩出の選挙はご苦労さまでした。
石川啄木。大好きでした。
いいですね。
函館の青柳町こそかなしけれ
友の恋歌
矢ぐるまの花
東芝さんこそ、ありがとうございました。
啄木には家族への限りない情愛の歌や、哀切極まる生活苦や、病苦の歌がありますね。
でも、啄木の値打はやはり情景歌だと思うのは、私の弱さかもしれません。
矢車の花は青に限る、と思いきめていた乙女のころが懐かしいです。
啄木が歌に詠んだ矢車の花は、ヤグルマギクだという指摘を読みました。ネットで検索すると花の写真を見ることができました。
青い花は、なんだか可憐な感じがします。
Blogを書き始めた頃、「鮮烈なる2月」という記事を書いたことがあります。2月は、石川啄木が生まれた月、小林多喜二や野呂栄太郎が亡くなった月です。サイト内検索で 鮮烈なる2月 と打ち込んで検索すると記事を読むことができます。よろしければお読みください。