映画『繕い裁つ人』
娘が録画したWOWOWで放映された『繕い裁つ人』を観た。主演は中谷美紀さん。中谷さんは、この主演をほぼ等身大の年齢で演じたようだ。映画が始まるとすぐにゆっくりと流れる時間を映像に納めようとする意図を感じ、同時に一つ一つのシーンを、1枚の絵画のように仕上げることに心血を注いでいるように感じた。
ただ、スローモーションを多用した映像には、少し間延び感があった。このゆっくり流れる映像には、賛否が分かれていて、レビューを見ても評価が低いのが目立つ。
映画の根底には、絵コンテがある。鑑賞者はただ単に映画を観るだけなのだけれど、この映画ほど絵コンテというものの存在を感じさせてくれる映画はなかった。
素人は、ムービーをいとも簡単に映像に納める。最近はiPhoneなどのスマートフォンさえ持っていれば、写真も映像も綺麗に撮れる。映像はフルハイビジョンを超えて4Kでさえ撮影できるようになった。そうやって撮影した現実を切り取った映像は、多くの場合、どんなに編集しても鮮やかな映像とはならない。そこには、間延びしたぼんやりした映像、切り取られた日常がある。
映画は違う。全部監督が計算し尽くして撮っている。もちろん偶然撮影現場で意図を超えるような見事な絵が撮れることはあるだろう。でもその場合も、99%の努力の上に咲く奇跡的な花なのだと思われる。
普通、映画を観ていても絵コンテの素晴らしさに思いが集中することはない。なのに、この『繕い裁つ人』は、ぼくに絵コンテの存在を痛烈に意識させた。
これは、果たして失敗なのか、それとも成功なのか。
大きな本屋さんに行き、原作のマンガである『繕い裁つ人』を探して、本の背表紙を眺め歩き、ないことを確認して、Amazonで中古本を買ったのだから、映像の出来は、ぼくにとっては成功しているということだろう。この映画作品に無性に心惹かれてしまった。
1枚のバランスのとれた構図に納められた絵。映画『繕い裁つ人』は、そういう映画だった。映画の中に静に流れる時間と空間と季節の変化。舞台となった神戸の街の北の高台にある町並みとそこから見える港が映画の世界とよく合っている。
南洋裁店を一人で経営し、先代のおばあさんの仕事を引き継いで、服の直しで生計を立てている人が、中谷さん演じる南市江さんだ。彼女は結婚せず先代の仕事を引き継いで、人々の年齢の変化に合わせて服を仕立て直したり、作り直したりしている。そこに大丸百貨店の営業である「藤井さん」が、「ブランド化しませんか」という話を持ち込んでくる。ここから映画の世界が動き始める。
市江は、自分のオリジナルのデザインに基づく洋服を作らない。なぜ作らないのかは、映画が動き出すと見えてくる。しかし、やがていくつかの出逢いが市江の心に変化を生み出して……。
映画監督は三島有紀子さん。ぼくはこの人の作品をほとんど観たことがない。女性が監督した作品ということも、『繕い裁つ人』にはにじみ出ている。こういう出逢いがあると、監督作品を追いかけるようなことが始まる。
現実の世界での人と人との出逢いによって、人生は変わっていくのだけれど、世に出された作品を通しても人は影響を受ける。作品を世に出した人々が知らないところで、作品は人々の心に根付いて新しい人生を生み出して行く。
『繕い裁つ人』は、忘れられない作品になった。













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