ボクシングの格闘シーンを書いてみるとどうなる?
ボクシングの格闘シーンって小説にするとどうなる?
小説で格闘シーンなどは、どうやって描くのだろうか。細かく描写してスピード感を出そうと思ったら、どうすればいいのだろうか。漫画の格闘シーンで、絵が素晴らしいと思ってきたのは、蛭田達也さんの『コータローまかり通る』だった。格闘シーンは、スローモーションが多用されているとは思う。しかし、スピード感と切れがある。これを文章で再現するとなるとどうなるんだろうか。
『コータローまかり通る』ですごいと思ったのは、連載のシリーズの中で、コータローたちがバンドを組んで演奏することをテーマにするシリーズがあった。ドラムを叩くシーンは、擬音の表現が全くなく、それこそ無音のようなシーンを重ねて描くという描き方をしていた。これを観たときに、音楽が聞こえてくると思った。蛭田さんは、音を全く言葉で表現しないままで、音を表現するということをやって見せた。
『あしたのジョー』の小説はあるのかと思いつつ、検索してみた。あった。『小説 あしたのジョー』がある。買ってみるかと思ったが、ホセ・メンドゥサとの試合のシーンが、12ページか13ページで終わっていると書いている人がいた。昔の小説だから字が小さいので、文字の組み方は42文字×17行×13ページということかも知れない。それを踏まえれば、文字の枠組みは9282文字、原稿用紙で23枚〜25枚ほどになる。これが短いのかどうか。どんな風に書かれているのか、興味はあるけれど、結局この本は買わず、角田光代さんの『拳の先』を買った。これは、ボクシングを題材にした作品として評価が高い。
読んで勉強しないと戦闘シーンやボクシングの試合は描けないない。本がくるのを待つことにした。
しかし、まあ一度さわりぐらい書いてみようかなと思った。動きを描くためには、文章にもリズムがいる。勉強する前の文章修行だと思って、以下の文章を書いてみた(暇かな?)。
力石徹が矢吹丈と闘うために死に至るような減量をして試合に臨んだ一戦は、『あしたのジョー』の伝説になっている。連載当時、現実世界では、ファンによる力石の葬儀まで行われた。以下の文章は、連載漫画を再現したものではない。これは、あくまでもぼくの勝手な文章だ。
腰を曲げたところに、下からアッパー気味に放った左がジョーのボディに綺麗に入った。ジョーのつま先がマットから浮くような衝撃だった。力石は、10センチほど背の低いジョーの横顔を見下ろした。倒れるか、という状態だ。
ジョーが左足を前に出して踏ん張ったところに、力石は腰をひねって顔面にフックを放った。ジョーは身をかがめ、時計回りに回転して力石の正面に回った。フックは空を切った。
足がふらついている。ジョーは、大丈夫だと言うところを見せるように、両腕を上に上げた後、左手を前に右手を少し下げてファイティングポーズを取った。目は真っ直ぐに力石を見ている。力石が笑ったように見えた。こんなところで終わってもらっちゃ困る。
頬骨が尖り目がくぼんでいる。筋肉質の体なのにあばら骨が見える。ウエイトが3つも違うのにバンタム級まで体重を落とした力石は、見る者が息を飲み込むようなオーラを発している。死神か夏の陽炎か。
ジョーは、腕を伸ばし距離を図るような仕草をし、時計回りに足を動かしリズムを刻み始めた。ふらついた足が回復していく。減量などはほとんど必要なかった。計量も一発でクリアしていた。若く充実した伸び盛りに見えるジョーには、豹のようなしなやかさがある。
力石は、回転に合わせて、時計の針の中心にいるかのようにジョーの正面を向き続けている。次の瞬間、ジョーは一気に間を詰めてワン・ツーを放ち、さらに間を詰めて右ストレートと左フックを連打した。力石は後退しながら両腕で攻撃をブロックした。ジョーの目を見続けている。隙があれば獲物を仕留める鷹のような目だ。
実験なので下手すぎるのはご容赦ください。
Zoom会議の改善
Zoomで学習会があった。事務所の2階でWi-Fiに繋いだMacを母体にして、HDMIケーブルをテレビに繋いだ。Macの画面をテレビに大写しにするという形で会議に参加した。しかし、まず音声が悪すぎて、ほとんどきちんと聞き取れなかった。音の方は、安物のテレビの音声を調整して、少しはましになったが、それでも神経を集中しないと細部が理解できなかった。音の悪さはおそらく3万円という破格に安いネット型テレビに原因がある。
仕方がないのでヤマハのミキサーを通し、音声をスピーカーから出すようにしたが、こちらもうまくいかなかった。原因はケーブルが合っていなかったせいだろう。これは、会議終了後、ケーブルを変更するとうまくいった。
それよりもひどかったのが、映像が途切れ、Zoomが途中で強制終了することだった。こちらの原因はWi-Fiの力不足だろう。このことに会議の途中で気がついたので、1階から2階にケーブルを引き上げて繋いでいる電話器にLANケーブルがあることを思い出して、LANケーブルをMacに繋いでみた。ただ、現在進行形のZoom会議のWi-FiをLANに切り替えると、接続がうまくいかなかった。LANに通信を切り替えた後で、Zoomに接続してという手順が必要だった。
という状況だったので、感想を書けとか質問をしてとかいうことが、ほとんどうまくいかなかった。次回からはZoom会議を大きく改善できるだろう。まあ、それが分かったというだけでも「もうけもん」だった。
ボクシングの描写なら、ジェイムズエルロイのブラックダリアという小説に、若干あったと思いますが、余り記憶にありません。戦闘場面の躍動を描いた小説となると、三島の短編、剣を思い出します。剣道の試合の描写が、スローモーションも含めて、三島独特の華麗な文体で為されています。相変わらず著作権の問題で、此処に引用出来ないのが残念です。またスポーツの躍動なら、村野四郎が、体操詩集によって上手く詩化されているようです。
情報ありがとうございます。
誠に申し訳ございません。お話は、民主文学会に限定されたもので、エルロイや三島とは無関係らしいですね。反省です。実はわたくしも、民主文学会傘下の同人誌、だったと思います、に1年間だけ参加させて頂いたことがあり、かなり無理を言ってでしたが、その方面の小説について、代表の方から色々伺いました。如何でしょう。東芝様の御作を読んでみたく思います。民主文学に投稿なさっては如何でしょうか。
投稿は思案中です。一つの作品は書き上げ、一番読んでほしい人に読んでもらいました。感想はまだ聞いてないですが、読んでくれました。身近な人間すぎてできなかったかも知れません。まだ感想は聞けていません。個人的なことなので、選挙が終わってからですね。お楽しみはたたかいの後に。
ときは1977年2月、母が亡くなる2日前から始まります。好きだった女の子のことと母の死によって変化した兄弟のことなどを書きました。小説としてどうなのか。何か書いたことによって意味があるのか、そういうこともよく分かりません。