後期高齢者医療広域連合議会の準備

雑感

明日が後期高齢者医療広域連合議会。通告書に従って質疑と討論、一般質問の準備をしている。途中、憩楽クラブかつらぎのなんでも市を見に行った。準備ははかどらないので遅くまでかかりそうだ。

今回の一般質問は、壇上での質問を事務的なものに留め、2問目、3問目で政治的に論点を深めるという方法をとった。本番で踏み込んだ見解が出るような努力をしたつもりだが、それはうまく行くのかどうか。一括提案、一括答弁という方式は、議会が自分たちで決めた最悪の縛り、プロメテウスを岩山に縛り付ける鎖のようなものだ。

質疑3回の制限も同じ。どうして、地方議会は議員の手を議員自ら縛るのだろうか。これが34年議員をやっていてもよく分からない。3回の質疑撤廃を提案しても、議員が反対する。会議の時間が延びて当局がしんどいだろうということなのか。
かつらぎ町は通年議会で本会議中心主義。委員会への議案の付託はほとんどない。その一方で予算特別委員会を作りたいのだという。そうであるならば、本会議の質疑回数撤廃をするだけで、委員会付託は必要が無くなるので、こちらも並行して協議してはどうだろうか。こちらの方がいいかも知れない。委員会付託の手間が省ける。
委員会と本会議の違いは、自己の見解を述べてもいい委員会と述べてはならない本会議という点にある。本会議における自由討議は、質疑終結後、議長の判断でできるので問題はない。
自己の見解は、自分の考えということではなくて賛否のことだ。自分の考え方を極力除いて質疑をされると、当局の方が不安になる。昨年、決算委員会で、自己の考え方を極力述べない簡潔な質疑を繰り返してみた。これができるのは質疑回数の制限がないからだ。短い質疑を繰り返す中で、事実関係を浮き彫りにしながら、本質に迫っていく。このやり方を実践してみると、議員の質問の趣旨を、当局側が類推する必要があるので、当局にとってはしんどいという感じがした。途中で何度か、休憩を求められ、議員の質問の趣旨は何かと問い返された。質問の趣旨を明らかにしないと、この問いに答えたら、一体何が待っているのか分からないから不安になる。

本会議質疑は3回までというルールは、会議規則の規定であって法律上の規定ではない。法には根拠がないので、会議規則を変更すればルールを変えることは可能だ。現行では、本会議質疑は3回までという形なので、ある程度、議員が考え方を示さないと、質疑は深まらない。3回という制限が、質疑の仕方を決めてしまう。
この質疑は3回までという縛りに対して、住民は次のような疑問をもつだろう。
「どうして、この議員はここで質疑を終わるのか。せっかく良いところまで追い込んでいるのに、なんでそこで終わるのか」
「議員の質疑は中途半端。議員って中途半端な人ばかりなのか」

予算審議だけは、質疑の回数制限を取り除いて、通告制を採用し、徹底的な質疑を保障する。これがいいかも知れない。かつらぎ町議会の場合、質疑に通告制を導入すれば、質問席での質疑ということになる。国会みたいな会議が実現する。これを提案してみようか。


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雑感

Posted by 東芝 弘明